アートがあるから 〜東京←→NY 母と娘のアート通信〜

東京に住む母エリンギと、ニューヨークに住む娘シメジのアート文通

足す?引く?

足す?引く?/母エリンギより  5/18/2021

 

朝夕に配達される「新聞」が情報を得るためのメディアの中心だったのはもう昔話だね

 

ニュースの新鮮味には欠けるし天気予報なんて半日以上前のデータだし…

 

でも我が家はいまだに二紙を購読中。

 

私は特にふだんの自分の検索履歴にはない(笑)経済や科学や理系の記事におもしろいものを見つけるのが楽しみ!

例えば先日はこんなの

 

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ベッドの4本の脚が3本外れて傾いている時の解決法は?

 

旅行の行程をもう少し改善するように頼まれたら?

 

ほとんどの人が「足す」ことを提案するんだって!

ベッドの脚の残りの一本を取っても平らになるのに(笑)

 

これは笑い話としても現代のさまざまな問題がうまく解決できないのは「足し算」にこだわるから…という説。

何かを処分するには獲得する時よりエネルギーを必要とするんだそう。

 

これはおもしろいねー。

なんだかいろいろ思いあたる。

「何を描かなかったか」に続いて「引き算」の話題でした!

 

足す?引く?/返信/娘シメジより  5/18/2021

 

そうかあ、今はみんなネットニュースを中心に見るから、新聞てなかなか読まなくなったかもしれないね。ネットだと知らず知らずに、興味のある記事しか読まないから、新聞とかで思いがけない記事に出会うということがなんか新鮮な感じ。

 

引き算は、足算よりエネルギーがいる、というのはわかる気がするなあ。プラスにしていくのって、それが何であれ、そこに「次」が見えている気がする。それは希望であって、安心でもあるんじゃないかな。

それで、マイナスにしていく作業は、不安がそこに存在しちゃうんだと思う。無くしちゃっていいのか、取っちゃっていいのか、もう元に戻らないんじゃないか。とても覚悟のいる作業なのかもしれないよね。

 

いきなり重い話になるけど、産まれる時、死ぬ時も同じかもしれないって思った時があって。私は自分の子供の出産の時、その大変さ、必死さにもうてんてこまいだったけど、この必死さを超えたところにある「次」、つまり子供が生まれてくるっていう大きな希望に向かっての足し算の戦いだったから、そこに不安はなかったんだよね。ただただ、頑張ってこれをやり抜くっていう気持ちでいたのを覚えてます。生まれてくる子もまた、一生懸命この一線を越えようとしてきているのがわかったしね。

 

それで愛犬が亡くなった時は、私はその胸に耳を当ててその瞬間に立ち会ったけど、苦しんでいるわけではなかったのに、何か一生懸命なものを感じたよ。死ぬという一線を越えるのは、生まれる時と同じくらい必死でエネルギーがいるものなのかもしれないって思った。覚悟して越えないといけない線を、一生懸命越えようとしているようで、年老いて弱っているはずの小さな体から、すごいエネルギーを感じたよ。生死の一線って、簡単には越えることできないんでしょうね。

 

生まれてくることを足し算、死を引き算と簡単に言っていいのかはわからないけど、でも何かここに、引き算の難しさの理由があるような気がして。それは先にもいった、不安や、戻れないという大きな覚悟が伴うということだよね。

それは結構な心のエネルギーの消耗なのかも。それが、どんなレベルでの引き算であってもね。

 

ところで、今ニューヨークのボタニカルガーデンで開催されている草間彌生さんの展覧会、やっとチケット予約できました!!物凄い人気で、なかなかチケット取ることできないんです。私はやっと、7月のチケットが取れました。これは絶対リポートします!

でもその前に、去年のコロナ禍のニューヨークがどんな様子だったか、忘れないうちに記事にしたいと思います。では!