アートがあるから 〜東京←→NY 母と娘のアート通信〜

東京に住む母エリンギと、ニューヨークに住む娘シメジのアート文通

篠田桃紅さんのこと

篠田桃紅さんのこと/母エリンギより  3/3/2021

 

3月1日、篠田桃紅さんが亡くなりました。107歳!

しめじは篠田さんのことはどのくらい知っているのかなぁ?

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私は自分が書道を始める前からその作品はもちろん、描く線そのもののようにキリリと美しい姿も話し方も文章も大ファン。ずっとあこがれの存在でしたよ。

 

3年前には急に思いたったひとり旅の行き先を長野県上田と決めたのも篠田さんの100歳超えての新作が見られたから。

無言館」にも立ち寄ったり…熱中症になりかけた暑さとともに忘れられない日帰り旅になったなぁ。

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書を学んでいるうちに「川」という文字の線はなぜ3本でなくてはいけないのか?

と考えたりしたところからやがて「墨象」といわれる抽象表現になったことは有名なエピソード。

 

ニューヨークに滞在し作品を発表して まずは海外で高く評価された。などというのは今ではあまり珍しくない話だけど

なんとそれが1950年代!

しかも「この道、この生き方でいく!」と決めた娘時代は大きな戦争があった頃。そして107歳まで途切れることなく続けたこと…

 

ついついつぶやいてしまいそうな「ひとりで自由だったから…うらやましいわぁ」なぁんて考えが恥ずかしくなりますね。

 

何度かテレビの取材番組で見たアトリエ。都心のマンションだと思うけど大きな机には見たこともない大きな硯、うっとりするほどの数の様々な筆。そして障子にはいつも竹の影が映っていたことが印象に残っているの。

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さて、作品集やエッセイを久しぶりに開こう!

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 篠田桃紅さんのこと/返信/娘シメジより 3/13/2021

 

篠田桃紅さんのことは、あまり知らなかったなあ。お母さんの憧れの存在であったということも。

お母さんが長い間ずっと、しかも遠くまで展覧会を見に行ったりするほど憧れていた人がいたということに、なんだか新鮮な驚きを感じました。

 

この方の書はもちろん、生き方そのものに惹かれていたのでしょうね。

 

でもそういえば、この名前には見覚えがあって。。それは、お母さんの本棚にたくさん彼女の本があったからなのですね。本の表紙や、字体は鮮明に覚えています。

 

それにしても、戦争時代に自分の生き方を決めて、曲げることなく突き進んで。。本当にすごいことですよね。長生きされたのも、きっと書く事がたくさんあったからなのでしょう。

それほどの書道への信念は、どこから来たものなのでしょうか。

どんな家庭で、どんな風に育って、いつ書道に出会ったのか、とても興味があります。

 

時代の困難さや、自分の肉体のリミットを超えてまで熱をたやさないで極めようとするものに、この方はどうやって出会い、向き合い続けたのでしょう。

 

次回日本に帰ったら私も、お母さんの本棚にたくさんある、篠田桃紅さんの本を読んでみます。