描いたか?描かなかったか?
描いたか?描かなかったか?/母エリンギより 4/19/2021
このタイトルから「おもしろいに違いない!」と楽しみにしながら会期終了ギリギリに駆け込みました。
『電線絵画』練馬区立美術館
街の景観をそこねるとして地中化がすすめられている電線・電柱。確かにウチの近所もものすごい!このありさま。
でも他の国から見ると日本らしい風景のひとつでもあるらしいですねー。
ある時、富士山よりも高くくっきりと電信柱が描かれた明治時代のこの絵に出会った学芸員が「?!」とこの企画を考えついたそう。
そういえば いつも富士山に主役の座が約束されている風景画にこの電柱は不思議…
数年かけて探した明治初期から現代までの作品が並ぶのだけど そこには電線・電柱がそれぞれの時代にどんな存在、役割だったが画家の眼を通して表れていておもしろいのです。
「灯り」というより まずは情報通信の革新的な設備として登場。そして描かれる風景も電線が伸びていくとともに東京の中心から郊外へと広がっていき、戦争や大震災後の街では垂れ下がりからまった電線がその悲惨さを強調…
復興とともにより生活の中の身近な眺めとしてはりめぐらされていくようすもよくわかる。
描かれているほとんどがなじみある東京のあちらこちら。
興味深いのは風景画を描く時に電線・電柱を描かない。またはなるべく目立たないようにする。ということを選んだ画家も多かったこと!
(同じ場所の他の作品や写真との比較でわかる)
そういえばあくまでも神話画や歴史画の背景でしかなかった風景画。
その後も写生をもとにしながらもリアルを追求した作品ばかりでなく理想的な(または想像上の)ものに構成してしまうことも多いですよね?
「何を描かなかったか?」
を考えたり感じたりするのは風景画に限らず作品を見る時 おもしろいかも!
ところで しめじは木製の電信柱って知ってるのかな?
描いたか?描かなかったか?/返信/娘シメジ 4/20/2021
これはまた面白そうな展覧会に行ってきたんですね!
確かに、電線や電柱は、ニューヨークではあまり見かけないですね。
その線のない空に慣れてしまって、ふと郊外で電線のある空を見ると、やっぱり東京の空を思い出して、ノスタルジックな気分になります。
私は、電線のある空が好きでした。
景観を損なうという見方もあるでしょうが、空に絵が描いてあるような、五線譜のような、でもやっぱりなんだか人間の生活の忙しさを象徴していて汚いような、不思議な景色ですよね。
電線を描かないことを選んだ画家たちは、人間のその生活臭や汚さを取り去った、自然の美しさにフォーカスすることを選んだのでしょうか。
電線を描くことを選んだ画家たちは、そこにある人間の生活、その雑多さも景色の中に取り込んで、ありのままの景色を表現することに何か意味を見出したのでしょうか。
家の中でも、ないと生活に困るけど、なかったらもっと部屋もスッキリするのにとか、なければ素敵なインテリアになるのになあっていうものって、大抵はコードものですよね。
やっぱり「線」だから、目立つし景色をどうしたって分断してしまう。
だから地中に埋められちゃうし、コードレスにされてしまう。
でもなんか不細工で不器用な感じで、憎めない存在というか。
でもやっぱり、綺麗な空を遮って、私たちの視界を分断して縦横無尽に走るコードたちは、人間の無我夢中だった自分勝手さの象徴なのかもしれませんね。というか、この地球においての人間そのもののような。
それを画家たちがどう見つめてきたのか、私もこの展覧会見に行きたかったなー。
ちなみに、木製の電柱知ってますよ!
私の子供の頃は、電柱はもうほとんどコンクリ製だったけど、たまーーーーに、細い木製の電柱あったの覚えてます。
私も昭和の人間なんだなー